2020
04/07
六根(眼・耳・鼻・舌・心・身)
もし、自分が長い間あやまちを積み重ねてきた業障が眼に現われて、物事の見方が誤っているのならば、一心に大乗の教えを読誦し、最高の教えについて深く思念しなければなりません。
また、同じく業障が現われた耳は、乱れた聞き方で物事を聞いてしまうので、人間関係の調和を壊す原因となるのです。 また、同じく業障が現われた鼻は、さまざまな香りに接した時に、その快さに対する執着に心が染められてしまい、さまざまな間違った感情を起こします。このような迷いに曇った鼻では、執着に心が染められてしまい、いろいろな煩悩の塵が生じてしまいます。仏の究極の悟りである諸法の実相を観ずるならば、永遠にもろもろの悪業から離れられるので、再び同じ間違いをおかすことはなくなるのです。
また、同じく業障が現われた舌は、五種類の口による悪業を生み出すもとになります。もし、それを正しく調えたいと欲するのならば、常に努力して他に対する慈悲の行いをなし、仏法の真実かつさまざまに分け隔てをする考え方を捨てなければなりません。
また、同じく業障が現われた心は、猿のように落ち着きなく、しばらくもじっとしているものではありません。もし、そんな心の悪い性質を抑えて正しい道へ引き入れようと欲するならば、努めて大乗の教えを読誦して、仏の偉大な真理を悟ったおん身と、その救済の力と、何も畏れることなく法を説かれる行為を、一心に念じなければならないのです。
人間の身は、その人のさまざまなはたらきを司るものですが、それはあたかも塵が風に吹き飛ばされるように周囲の事情に影響されてしまいます。
このように、人間の中には六根(眼・耳・鼻・舌・心・身)が好き放題に暴れ回っていて制御できない状態なのです。もし、それらの悪を滅して、永久にもろもろの煩悩やわずらいから離れ、いつも真に静寂なる気持ちでおり、安楽にして淡々とした心境に成りたいと欲するならば、教えを読誦すべし。人間を正しい道に導くさまざまな勝れた方法は、大乗の教えによる諸法の実相を思うことによって得られるのです。いま説いた六つの方法が、六根を清浄にする方法と呼べるものなのです。
一切の業障は、ありもせぬものをあると思う妄想から生み出されるのです。それだから、もし自分の業障を懺悔しようと欲するならば、静かに端座して諸法の実相を深く思念する必要があるのです。
もろもろの罪は、あたかも霜や露のごとき幻であり、実相を観ずる智慧の日光に照らされれば、たちまち雲散霧消するのです。それゆえに、ただひたすらに実相を観ずることによって、六根を清浄しなければならないのです。
この教えは、仏説観普賢菩薩行法経からです。人間の六根を清浄にしたいものですね。

また、同じく業障が現われた耳は、乱れた聞き方で物事を聞いてしまうので、人間関係の調和を壊す原因となるのです。 また、同じく業障が現われた鼻は、さまざまな香りに接した時に、その快さに対する執着に心が染められてしまい、さまざまな間違った感情を起こします。このような迷いに曇った鼻では、執着に心が染められてしまい、いろいろな煩悩の塵が生じてしまいます。仏の究極の悟りである諸法の実相を観ずるならば、永遠にもろもろの悪業から離れられるので、再び同じ間違いをおかすことはなくなるのです。
また、同じく業障が現われた舌は、五種類の口による悪業を生み出すもとになります。もし、それを正しく調えたいと欲するのならば、常に努力して他に対する慈悲の行いをなし、仏法の真実かつさまざまに分け隔てをする考え方を捨てなければなりません。
また、同じく業障が現われた心は、猿のように落ち着きなく、しばらくもじっとしているものではありません。もし、そんな心の悪い性質を抑えて正しい道へ引き入れようと欲するならば、努めて大乗の教えを読誦して、仏の偉大な真理を悟ったおん身と、その救済の力と、何も畏れることなく法を説かれる行為を、一心に念じなければならないのです。
人間の身は、その人のさまざまなはたらきを司るものですが、それはあたかも塵が風に吹き飛ばされるように周囲の事情に影響されてしまいます。
このように、人間の中には六根(眼・耳・鼻・舌・心・身)が好き放題に暴れ回っていて制御できない状態なのです。もし、それらの悪を滅して、永久にもろもろの煩悩やわずらいから離れ、いつも真に静寂なる気持ちでおり、安楽にして淡々とした心境に成りたいと欲するならば、教えを読誦すべし。人間を正しい道に導くさまざまな勝れた方法は、大乗の教えによる諸法の実相を思うことによって得られるのです。いま説いた六つの方法が、六根を清浄にする方法と呼べるものなのです。
一切の業障は、ありもせぬものをあると思う妄想から生み出されるのです。それだから、もし自分の業障を懺悔しようと欲するならば、静かに端座して諸法の実相を深く思念する必要があるのです。
もろもろの罪は、あたかも霜や露のごとき幻であり、実相を観ずる智慧の日光に照らされれば、たちまち雲散霧消するのです。それゆえに、ただひたすらに実相を観ずることによって、六根を清浄しなければならないのです。
この教えは、仏説観普賢菩薩行法経からです。人間の六根を清浄にしたいものですね。

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大きな屋根はありません。広い境内もありません。ここには、仏さまの慈悲があります。
悲しい事は半分に。嬉しい事は倍に。あなたのお話しお聞きいたします。
どうぞ、お尋ねください。
Author:山里
色々な事に興味を持って不器用だけれど拘わっていきたいなぁ❢
写仏・写経を一緒にしませんか?
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