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2012
08/01

処方箋?

日記

昔は・・・・ 
病というと、たいてい身体の病気を連想してしまいますが、社会構造がますます複雑になり、その一方で人間関係が錯綜し、昔ながらの人情が希薄になっている現代では、病いというものは、身体よりはむしろ、心の方に顕著にあらわれているのではないでしょうか。しかも心の病気は老若男女を問いません。
 人間関係が錯綜してくるということは、反面、心の通った触れ合いが疎遠になってくるということです。つまり、お互いがあまり干渉しなくなります。特に都会では、隣人と顔を合わせることすらなく、ひと昔前のように、夕飯のおかずをおすそわけしあうような関係は少なくなってきました。
電車に乗って腰掛けようとするとき、「ここ空いていますか」「ええ、どうぞ」と言葉を交わす光景も見られません。
 世の中がこのようになってくると、人に干渉されることをプライバシーの侵害と考え、無関心を、個人の自由を守るために大切だと思う人も多いようです。すると今度は、他人の自由やプライバシーを侵してやろうと考える者もでてきます。
 その手段はとても陰湿です。無言電話・パソコンのインターネット・ストーカー、また芸能人や政治家のスキャンダルを追い回すマスコミ、さらに学校や会社でのいじめ、セクハラ……、これでは心が病気にならない方が不思議です。現代社会はストレス社会といってもいいほどです。後ろの車のクラクションがうるさいからといって、怒って相手をなぐり殺すような世の中です。

つまるところ、今の世におけるストレスとは、他者との関係における不安ということなるのではないかと思うのです。そしてそれは結局、自分自身の生の在り方への不安というものに起因しているのではないでしょうか。健康への過度な関心、容姿に関する強迫観念ともいうべきダイエット症候群、熟年の中間管理職の精神への過度の付加、等々の現代的な不安兆候は、価値観の希薄化・多様化からくる、孤独感の蔓延から来ているのかもしれません。
 人のこの不安な心に対して、仏教は何ができるのでしょうか。どのような対処の仕方が考えられるにしても、仏教にできるのは、決して具体的な問題解決の処方箋を出すことではないような気がするのですが・・・・・。

 それは、たいていのことは人間が自分で決めることができるかもしれませんが、この私たちが生きているこの世界には、人間の力では決定することも判断することもできないこともあるような気がいたします。


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悲しい事は半分に。嬉しい事は倍に。あなたのお話しお聞きいたします。 どうぞ、お尋ねください。

山里

Author:山里
色々な事に興味を持って不器用だけれど拘わっていきたいなぁ❢

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