2012
07/20
心洗われました。
清き水の流れは心身を癒します
内宮の階段下から
五十鈴川
外宮の三石
案内の看板
二泊三日で伊勢神宮に参詣に行ってきました
お天気は猛暑とやらで半端なく暑かったぜい~
ホテルから外宮は徒歩で約20分くらいでなので歩くことにいたしました。しかし日陰がない道は少々辛かったァ
外宮は結界があるかのように橋を渡るころには静寂な空気があり心地良かったです。
外宮は天照大神のお食事を司る神の豊受大神をおまつりしています。衣食住をはじめ、あらゆる産業の守り神です
三石のパワースポットもちやんと写真に収めてまいりました
20年に一度の式年遷宮のために鎚の音が響いていました
内宮はホテル近くの宇治山田駅からバスが出ているので乗ることしました。
約30分くらいで到着です。
外宮との違いはなんたって敷地の広さです~
橋の下を流れる五十鈴川は本当に美しいです。
理屈なしの神々しさを備えています。手洗い場と書かれたところから五十鈴川の水に触れることができます
時間が静かにゆっくりと流れます。頭のてっぺんから静かに洗われていくのが分かり心身の芯が新しい鼓動を始めたかに思えます。
内宮は皇大神宮、皇室の天照大神をおまつりする、我が国で最も尊いお宮です。
五十鈴川の川上に千古の森に囲まれて2000年の時を超えて古代のたたずまいを今日に伝えています。
黄泉の國から帰った伊邪那岐神(いぎなぎのかみ)が禊祓(みぞぎはらい)をしたおりに化生した神々の一柱。
伊邪那岐神の娘神。高天原の主神で、日の神です。
伊邪那岐神が、死の国の穢れを払う為の禊ぎで、左の眼を洗われた時に化生したのが天照大神(あまてらすおおかみ)です。
この神は、右眼を洗われたとき化生した月読神(つきよみのかみ)、鼻を洗われたときの建速須佐之男神(たけはやすさのおのかみ)とともに、三貴子といわれる。
そしてその化生にも、伊邪那岐神が左眼を洗ったときに化生したとする『古事記』の説のせかに、伊邪那岐・伊邪那美の二神が諸神を産み終えたあと、ともにはかって「われすでに大八洲国と山草木とを産めり、何ぞ天の下の主者を産まざらめや」と申されて、日の神を産まれたと記している『日本書紀』の本文の説もあるそうです。
さらに『日本書紀』の一書では、伊邪那岐神が「吾は天の下を始めす貴(うず)の子(みこ)を産まんと」と申されて、左の手に白銅鏡(ますみのかがみ)を持った時に生まれた神であるとしているなど、その化生にはいろいろな説があるのには驚き、又興味深いことです
伊邪那岐神が三貴子の誕生を大いに喜ばれて、自らの首飾りの玉の緒をといて、その珠を与えながら、天照大神には『汝が命は高天原(天照大神が日の神としたならば天をさす)を知せ』と言われ、次に月読命(つきよみのみこと)には夜を、建速須佐之男命には海原を知せと、山神それぞれの任務を申しつけられたという説話があります。
日本の神さまのお名前はとても難しいですねぇ
でもとても興味深く楽しいです





二泊三日で伊勢神宮に参詣に行ってきました

お天気は猛暑とやらで半端なく暑かったぜい~

ホテルから外宮は徒歩で約20分くらいでなので歩くことにいたしました。しかし日陰がない道は少々辛かったァ

外宮は結界があるかのように橋を渡るころには静寂な空気があり心地良かったです。
外宮は天照大神のお食事を司る神の豊受大神をおまつりしています。衣食住をはじめ、あらゆる産業の守り神です


20年に一度の式年遷宮のために鎚の音が響いていました

内宮はホテル近くの宇治山田駅からバスが出ているので乗ることしました。
約30分くらいで到着です。
外宮との違いはなんたって敷地の広さです~

理屈なしの神々しさを備えています。手洗い場と書かれたところから五十鈴川の水に触れることができます

内宮は皇大神宮、皇室の天照大神をおまつりする、我が国で最も尊いお宮です。
五十鈴川の川上に千古の森に囲まれて2000年の時を超えて古代のたたずまいを今日に伝えています。
黄泉の國から帰った伊邪那岐神(いぎなぎのかみ)が禊祓(みぞぎはらい)をしたおりに化生した神々の一柱。
伊邪那岐神の娘神。高天原の主神で、日の神です。
伊邪那岐神が、死の国の穢れを払う為の禊ぎで、左の眼を洗われた時に化生したのが天照大神(あまてらすおおかみ)です。
この神は、右眼を洗われたとき化生した月読神(つきよみのかみ)、鼻を洗われたときの建速須佐之男神(たけはやすさのおのかみ)とともに、三貴子といわれる。
そしてその化生にも、伊邪那岐神が左眼を洗ったときに化生したとする『古事記』の説のせかに、伊邪那岐・伊邪那美の二神が諸神を産み終えたあと、ともにはかって「われすでに大八洲国と山草木とを産めり、何ぞ天の下の主者を産まざらめや」と申されて、日の神を産まれたと記している『日本書紀』の本文の説もあるそうです。
さらに『日本書紀』の一書では、伊邪那岐神が「吾は天の下を始めす貴(うず)の子(みこ)を産まんと」と申されて、左の手に白銅鏡(ますみのかがみ)を持った時に生まれた神であるとしているなど、その化生にはいろいろな説があるのには驚き、又興味深いことです

伊邪那岐神が三貴子の誕生を大いに喜ばれて、自らの首飾りの玉の緒をといて、その珠を与えながら、天照大神には『汝が命は高天原(天照大神が日の神としたならば天をさす)を知せ』と言われ、次に月読命(つきよみのみこと)には夜を、建速須佐之男命には海原を知せと、山神それぞれの任務を申しつけられたという説話があります。
日本の神さまのお名前はとても難しいですねぇ

でもとても興味深く楽しいです

CM
TB
大きな屋根はありません。広い境内もありません。ここには、仏さまの慈悲があります。
悲しい事は半分に。嬉しい事は倍に。あなたのお話しお聞きいたします。
どうぞ、お尋ねください。
Author:山里
色々な事に興味を持って不器用だけれど拘わっていきたいなぁ❢
写仏・写経を一緒にしませんか?
最新トラックバック
月別アーカイブ
- 2022/04 (1)
- 2021/10 (2)
- 2021/09 (4)
- 2021/08 (1)
- 2021/07 (2)
- 2021/06 (2)
- 2021/04 (1)
- 2021/03 (1)
- 2021/02 (2)
- 2020/12 (1)
- 2020/10 (1)
- 2020/09 (1)
- 2020/08 (2)
- 2020/07 (2)
- 2020/06 (1)
- 2020/05 (2)
- 2020/04 (3)
- 2020/03 (3)
- 2020/02 (1)
- 2020/01 (2)
- 2019/12 (1)
- 2019/11 (2)
- 2019/10 (1)
- 2019/09 (1)
- 2019/07 (2)
- 2019/06 (5)
- 2019/05 (3)
- 2019/03 (1)
- 2019/02 (2)
- 2019/01 (2)
- 2018/12 (1)
- 2018/03 (1)
- 2018/02 (1)
- 2017/10 (1)
- 2017/08 (2)
- 2017/06 (2)
- 2017/04 (1)
- 2017/03 (3)
- 2017/02 (2)
- 2017/01 (2)
- 2016/10 (1)
- 2016/09 (2)
- 2016/08 (2)
- 2016/06 (1)
- 2016/03 (3)
- 2016/02 (2)
- 2016/01 (1)
- 2015/10 (3)
- 2015/09 (1)
- 2015/08 (3)
- 2015/06 (1)
- 2015/05 (2)
- 2015/04 (1)
- 2015/03 (6)
- 2015/02 (2)
- 2015/01 (1)
- 2014/12 (1)
- 2014/11 (1)
- 2014/10 (2)
- 2014/08 (2)
- 2014/07 (1)
- 2014/06 (1)
- 2014/05 (2)
- 2014/04 (2)
- 2014/03 (2)
- 2014/02 (4)
- 2014/01 (1)
- 2013/12 (2)
- 2013/11 (1)
- 2013/10 (2)
- 2013/09 (4)
- 2013/08 (9)
- 2013/07 (1)
- 2013/06 (4)
- 2013/05 (3)
- 2013/04 (3)
- 2013/03 (3)
- 2013/02 (5)
- 2013/01 (5)
- 2012/12 (4)
- 2012/11 (5)
- 2012/10 (7)
- 2012/09 (2)
- 2012/08 (5)
- 2012/07 (5)
- 2012/06 (7)
- 2012/05 (5)
- 2012/04 (4)
- 2012/03 (9)
- 2012/02 (6)
- 2012/01 (6)
- 2011/12 (5)
- 2011/11 (6)
- 2011/10 (7)
- 2011/09 (7)
- 2011/08 (9)
- 2011/07 (10)
- 2011/06 (9)
- 2011/05 (11)
- 2011/04 (10)
- 2011/03 (16)
- 2011/02 (21)
- 2011/01 (22)
- 2010/12 (13)
- 2010/11 (2)
ブロとも申請フォーム
検索フォーム
QRコード
