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2020
08/30

もうすぐ8月も終りです。
土木業を営む檀家さんから「客がコロナでイライラしている」という話を伺いました。
駐車場でのマナー、トイレでのマナー、商業フロアーでのマナー、とにかくトラブルが多かったとか。
感染の不安、自粛生活に対する不安、仕事に対する不安、経済的な不安等に一斉に襲われて、
過度のストレスで、さも自分だけが被害蒙っているというような錯覚に陥って
いるようだというのです。
このような時だから、自己研鑽をした方が良いのでは・・・・
でもね。
ストレス耐性の強弱もあるでしょうが、昨今では誰しもが同じような状況下で、いかに
「俺が俺が」を辛抱するかが求められます。
各々の置かれた状況に差異があるのは当然のこと。
皆一人一人が自分の人生の主役ですが、周りの方々も各々の人生において主役ですもんね。
身勝手は決してまかり通りません。
こんなお話がおります。
「山野には、さまざまな草木が 生えていた。 草木の種類は多く、名も色や形も 大きさも皆違う。
 ある時、雨が等しく地上に降り注いだとしよう。
 大小様々な草木は、皆一斉に雨の恵を受け、花を咲かせ、実を実らせるのであろう。
 しかし、草木の生長の度合いは、品種や環境によって異なる。
 一つの大地から生じ、 一つの雨に潤される草木は、 各々に様々な形態を持ち、 それぞれに生長していくのである。」

これは法華経薬草喩品に説かれる
「三草二木の譬え(さんそうにもくのたとえ)」と呼ばれる教えです。

大地に生える草木は、一つとして同じものはないけれど、雨の恩恵を受けて生長している様を、
人間と仏の関係に喩えています。
雨は、仏さまから注がれる慈悲であり、草木は人間です。
どんな草木も雨を受けて生長できるように、どんな人も各々いきいきと成長できるように仏の慈悲は
全ての人々に平等に注がれています。
ただそれを受止める側の、形・性質・環境等の条件が違うからこそ、救いの結果も違って見えるだけ。
人にはそれぞれ個性があり、一人として同じ者はいない。
だから、その人にしか表現できない個性があり、魅力が光る。
さまざまな個性と個性が彩る多様性の大切さを説いているとも言えると思います。
にもかかわらず、私たちは壁にぶち当たると、すぐに「神も仏もいないのか」と、あたかも自分だけが雨の恩恵を
受けていないかのように悲観的になるのです。
この「三草二木の譬え」の教えの後に、教えを信じ持つ者は
「現世安穏 後生善処」と仏は仰います。

現世安穏とは、
世の中から苦しみが消えて無くなるという意味ではなく、どのような苦難に直面しても、
これを巧みに処理する心の能力を持ち得た人にとっては、苦しみではなく、心穏やかで過ごすことが出来る。

しかし、あなたには仏さまの慈悲の雨が降り注ぎ続けています。それを感じながら生きるか、気付かずにイライラして過ごすか。
選ぶのはあなたですよ。


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大きな屋根はありません。広い境内もありません。ここには、仏さまの慈悲があります。
悲しい事は半分に。嬉しい事は倍に。あなたのお話しお聞きいたします。 どうぞ、お尋ねください。

山里

Author:山里
色々な事に興味を持って不器用だけれど拘わっていきたいなぁ❢

ご朱印、受け賜わります。

写仏・写経を一緒にしませんか?

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