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2020/07
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此度の豪雨被害に遭われた方に心からお見舞い申し上げます。
豪雨の被害に遭われた方に、心からお見舞い申し上げます。又、いのちを落とされた方にはお釈迦さまの慈悲が届きますように。

すべての始まりは心からです。 心がネガティブになると 結果もネガティブになってしまいやすいものです。 いつも心はポジティブになるように維持しましょう。 釈尊が 「心は、捉え難く、 軽々とざわめき、 欲するままにおもむく。」と 説かれたように いつも明るく ポジティブで善なる心を維持するのは 難しいものです。 人生を幸福に導くには、 ネガティブな心にならぬように ポジティブな心を保つことです。 瞑想でいつも心を清らかにし ポジティブな心を維持するために さぁ、瞑想をはじめましょう。

. 「ものごとは心にもとづき、 心を主とし、心によってつくり出される。 もしも清らかな心で話したり 行ったりするならば、 福楽はその人につき従う。 影がそのからだから離れないように。」 仏陀の言葉より


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南無妙法蓮華経
人間とは不思議な生き物ですね。
この心の仕組みを観察し処方箋を出されたお方が、お釈迦さまです。
私たちは、過去を思い悩み、未来を勝手に描いて不安になったり。
自分に無いもの、を持つ者をひがみ、妬(ねた)み、嫉(そね)む。
そのエネルギーは、大変な無駄遣いだと思うのです。
しかしその無駄なエネルギーによって人が成長するのも事実なのです。
仏の大きな心から見れば、悪も自分のためになるし、人のための肥やしとなる。
ところが、私たちの心の中には、今度のコロナウィルスに対してだけでも
不平不満や恐怖や悲しみが充満しています。
そのことで今は頭が一杯では、心が荒むばかりです。
それを解決するには、自分の心の中から不平不満・恐怖・悲しみを吐き出さなければなりません。
今、私たちに必要なことは、「懺悔滅罪」なのではないでしょうか。
そして、こういう心の立て方は、自分で心がけていくことが可能なのです。
心がけさえすれば、ものはよく見えてくるのです。
日蓮聖人はそのためには、南無妙法蓮華経を唱えなさい、と言われました。
こんな時代だからこそ下ばかり見ないで心の窓を開いて青空をながめたいですよね。

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自粛生活が解除されました。
不慮の死、急死、納得いかない死と出会った時、再び会いたい。生まれ変わっても会いたいと思わないでしょうか?
私は、葬儀を導師として行い、釜の前でお題目を唱えてきました。泣き崩れたり、お棺にしがみついている方々、家族との絆などさまざまな別れに出会いました。再会できないなんて思いたくないというのは、本音です。再会を願いたいし、自分もまた、縁ある人に再び会いたいと願います。
浄土があって欲しい、それじゃないと納得しがたいという部分があるのです。
さらに言うなら、僧侶という業の深い人生、死にかかわり、布施で生き、倫理的に生きるということを自らにすかし、僧侶という職業が悪いと言う事ではなく、過去の因縁を受けて生きているなと感じるのです。
私にとって来世は、ある。だからこそ今を丁寧にいきるそれによって生まれ変わったら生まれ変わった自分に宿題を約束してこの世に生まれます。

読まれた方は、覚悟が足りない。それでよいのか?とお思いになるかたもいるでしょう。でも揺らぎながら、考えながら、嘘なく今を生きるというのは、実は苦しみと向き会うということだと思います。自己の脆弱性を見つめ、問い続ける覚悟を持ち続けることこそが、今の自分の仏教なんだと感じています。
コロナの自粛生活も解除され、少しづつ日常の生活にもどるのでしょう。ただ今回の経験を無駄にせずに人間的にも成長していることをこれからの生活で確認していきたいと思います。

もみじ平成30年春2
あれも欲しい、あの人嫌い、何で私ばかり・・・・
お釈迦さまのお言葉に
「水をくみ出したならば舟は軽やかに進むであろう」
という言葉があります。たとえばね遊園地の池に浮かんでいるような手漕ぎの小舟があるとします。この舟の中に水が
一杯にたまっていると、重くて漕いでもなかなか進んでくれません。ところがね中の水を全てくみ出してしまうと軽やかに
進むことができます。
それと同じように、私たちの心の中が水で一杯になっていると冷たく、重苦しくて仕方がないと思いませんか、水をくみ出して
しまえば、軽やかにのびのびと生きていく事ができますよね。
心の中に何もないのが、いちばん理想的な状態だからなのです。
何もない心のことを「無心」といいます。
この心の中に溜まった水のことを仏教では「煩悩・ぼんのう」と呼んでいます。
人間には百八つの煩悩があると言われ、除夜の鐘を百八つつくのは、この煩悩を退治するためだと言います。
しかし、鐘を突いたぐらいでは、なかなか煩悩は退治できるものではないのです。
数ある「煩悩」の中で「貪りの心」「瞋りの心」「愚痴の心」の三つを人間を一番苦しめる毒薬という意味で『三毒』と呼んでいます。
「貪りの心」とは、自分の好きなものに執着し、欲の為に心が病気になること。
「知者も善者も浮世を見るに色と金には皆迷う」とあるように、色と金に迷う人が一番多いようですが、
「欲を心から離れてみやれ、何がなくとも充分じゃ」となりたいものですね。
「瞋りの心」は、自分の嫌いなものに対して反発したり、腹をたてたりする心をいいます。瞋りの心が、どのくらい自分自身を苦しめるかは、喧嘩をした時の不愉快さを思い出してみればよく分かりますよね。さらに瞋りがこり固まって恨みとなるとかなりの重症です。瞋りは人を損なうことが大きいけれども反省して改めれば比較的退治しやすい煩悩と言われ、瞋りの病に対しては『忍』が治療法であります。『忍』とはひたすら耐え忍ぶといった消極的なことではなく、自分の気に入らないことがあっても腹を立てずに冷静に対処できる積極的な心のことです。
「愚痴の心」は、『道理をわきまえない愚かな心』といいます。
全てのことを自分の思い通りにしたい、自分だけは年を取らずに病気にもならずいつまでも生きていたい、好きな人とだけお付き合いして嫌いな人は顔も見たくない、という我儘な心のことです。この愚痴の心は『無明』とも呼ばれ、迷いの心の根源とされています。
愚痴の心から→貪りの心がおこり、貪りの心があるところには必ず→瞋りの心がある。というように三毒が出そろい、さらに様々な煩悩に枝分かれしていくのです。
愚痴の心に対しては、当然のことですが、『道理をわきまえた明らかな智慧』が処方箋となります。
自分の好き嫌いに合わせて世界が回転している訳ではないから、道理をわきまえて道理に自分を合わせるのです。
霊妙な仏身、このような三毒に代表される心の水を全てくみ出してしまった人が『仏さまのような人』なのです。煩悩の水一滴も残っていない綺麗な心のことを「仏心」といいます。
そして、全ての人が生まれながらに『霊妙なる仏心』を持っているというのがお釈迦さまの一番私たちに伝えたい教えなのです。
軽やかに安らかに生きていきたいものですよね。


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自粛とは・・・自分から進んで自分の言動を慎むこと。
こんにちは。
どうも人はお天気が良く、心地よい風が吹いていると、外へ出たくなるらしい。
先日の日曜日は前日の荒天候だったせいか、『あれっ、自粛じゃなかったかなぁ・・』と自問自答してしまう程の車が💦
それも他府県ナンバーの高級車"(-""-)"・・・・・

飲食店が閉店しようかと苦渋の選択を強いられている中、ストレス溜まったからと都心から脱出して田舎へ・・・
その行為は人としてどうなの?
コロナが終息しても新たな悩みが増えそうな予感。神仏は、何をお示しになられているのか・・・・

大切な人の為にそして自分の為に行動を考えてください。


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大きな屋根はありません。広い境内もありません。ここには、仏さまの慈悲があります。
悲しい事は半分に。嬉しい事は倍に。あなたのお話しお聞きいたします。 どうぞ、お尋ねください。

山里

Author:山里
色々な事に興味を持って不器用だけれど拘わっていきたいなぁ❢

いい塩梅に歳を重ねて

山里

Author:山里
色々な事に興味を持って不器用だけれど拘わっていきたいなぁ❢

写仏・写経を一緒にしませんか?
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